会話は言葉のキャッチボールなんかでは全然ない

f:id:correct-me:20181004140837p:plain「会話は言葉のキャッチボール」という比喩表現があります。

☆言葉のキャッチボールとかありえなくね?

園や小学校にかぎらず、療育の現場でもしばしば聞かれます。ほとんどの人が納得して使っているようです。

うちの子はおしゃべりは好きなのですが、言葉のキャッチボールができないんです、という声もよく聞きます。


ちょっと考えてみてください。
キャッチボールって何でしょうか。

ここでひっかかる子がいます。

☆キャッチボールと会話、似てるところと違うところ

キャッチボール=やりとりするボールが、そのままの形、性質を保ったまま両者の手元を正確に行き来する
…というイメージがあれば、なおさらです。

言葉は、往路と復路で、変化します。
その変化をコントロールすることはできません。

ボールと、言葉は、違います。
ボールは形状はほとんど変わりません。


会話と、キャッチボール。確かに似た性質を見いだすことはできます。

球技経験者でも心理のプロでも、完全に狙い通りにやりとりすることは難しいです。

球威、コース、言葉や話し方はコントロールできて、ベストだと思うところに投げたとしても、相手が自分の思い通りにキャッチするとは限りません。

受け手次第です。

片方だけが気遣っても、受け手がダメなときはどーやってもダメ。そう、キャッチボールと会話は、このように近い性質はあります。



でも、「言葉はキャッチボール♥」という定型文を発する人は、無自覚に、発信時の気遣いだけを、無闇に強調しています。

ピッチングにフォーカスしすぎなのです。


会話はキャッチボール、と説明する人間で、
・キャッチャーの心構え
・「受け取り方も大切」という話
・「キャッチボールの相手してもらえることへの感謝」
このへんまで盛り込んでいる人は、激レアなんじゃないかな。


☆思いを言葉に、言葉を思いにする、そのたびに変化してしまう面倒くささ

ボールはほぼそのままの形で往復します。しかし、言葉と、込められた思いは、複雑怪奇に入り乱れます。


Aさんの思い→Aさんの言葉→Bさんの思い→Bさんの返事→返事を受けた新たなAさんの思い

Aさんの思いを基準とします。Aさんの思いを言葉にする時点でズレる可能性がありますが、ここまでは変化のコントロールがある程度効きます。

そのAさんの言葉ですが、Bさんが受けとるときに大きく変化してしまうこと、当然あるのです。

また、それに対してBさんが返答するわけですが、ここでも、言いたいこと思ったことはそのまま言わないのが社会のマナーですから、ここでもまた大きく変化して、オブラートに包んだり、逆のことを言ったりしてしまうのです。

もう、何がなんだかわからなくなりましたね。


そうなのです、「会話は言葉のキャッチボール」という定型文は、ボールのコントロールが出来ないけれども、お互いに配慮し謙虚に努力する人同士の、「投球」の営みである、という美しい前提からできています。

実際の会話は、上述したような、オブラートやら、傷付けないための配慮(すごく多目に見積もらないといけない)という名の嘘やらお世辞やらを身に付けないと、こなせません。

「会話は言葉のキャッチボール」
そもそも、言葉Aと言葉Bのキャッチボールなのか、人と人が言葉をかけあうイメージなのか、そこも不明瞭です。

この定型文、きつい言葉をつかう子(ここでいうピッチャー)とその周囲(キャッチャー含む)は四六時中聞かされます。
そして、一部の子にとって、会話の本質を強く誤解させる原因となります。

☆言葉のマナーとキャッチボールのマナー

「会話は言葉のキャッチボール」という表現を納得してもらうためには、まず、ここで言うキャッチボールは、不完全なものであることを踏まえ、キャッチボールのマナーから話さなければなりません。

・ピッチング時は、相手に負担を与えずに受け止められる球速、軌道でしか、投げてはいけない。

・ピッチング側は、キャッチ側が負担なく受け止められるボールを投げることに失敗したら、すぐ謝る。


キャッチ側がボールをキャッチできなかったら

・ピッチャー側は、ボールの投げ方が悪かったのだと認識し、投げた方がすぐ謝る。

・ボールを落としたキャッチャー方も、キャッチする能力や努力が不足したことを認め、すぐ謝る。

・お互いにキャッチボールに習熟しており、相手側が強い球威を望んでいるならば、全力投球が許されることがある。 ただし、それでもキャッチ側にとって取りやすいところに投げるのがマナー。
取りにくいところに投げられたとき、キャッチャー側はピッチャーを責めないで、走ってボールを拾いに行くことも楽しむ


キャッチボールについて、ここまでの前提理解があって、やっと「会話は言葉のキャッチボールである」という例え話ができる可能性が出てきます。


言葉は ボールと違い、返事として変化して帰ってくるので、もしかして、なお子さんにはなかなか分かりにくいたとえのようです。

むしろ自分のやっているキャッチボールをイメージし、
「投げたいように投げる」
「なるべく強く遠く!」「いいボールを投げたのに、相手が落としたら相手のミス。相手が走って取りに行くのは当たり前」
といった勘違いを強めるとさえ思います。

☆キャッチボールよりプレゼント交換に近い

それよりも、プレゼント交換だと表現した方が分かりやすい、と言われることかあります。

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典型発達は、言葉でラッピングした空のプレゼントボックス(空気)を贈り合うことで、敵意がないことを示したり、喜びを感じたりしています。

多様発達のうち、自閉のあるものは、しばしば、コンビニ袋で実用品を贈ろうとします。

言葉や綺麗事にラッピングされた箱の「やりとり」に配慮や善意を感じ合う文化と、
実用性やコスパという「コンテンツ」に価値を強く感じる文化。
かなり違うんです。

異なる価値観。ぶつけ合うからもめるんです。
地政学的にトルコみたいな事情ですかね、そりゃゴタゴタするわな。


そんなとき、「こっちの文化に従え!!!!」と罵り合うのは、幸せから永遠に遠ざかる行為です。

相手の文化を教わりましょう!
許せる範囲が広がるように、世界を広げていきましょう!




自閉スペクトラムが、ほしくないプレゼントもらったら?
過程(プレゼントしたいという気持ちと行動)に注目させましょう。過程への感謝と、気持ちのラッピングを学ぶようにしましょう。

定型(感情原理主義)は、実用性や返礼ストレスを考慮した金券を贈る代わりに、丁重にラッピングした感謝の言葉や、「自分の好きなもの」を贈るのです。相手のことなんて、考えすぎなくても、いいのかもしれませんね。




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